脳科学的にも物理学的にも「自由意志はない」らしい件。だけど「自由に生きる」ってことを模索するけどダメ??

今回の記事はいかがでしたか?面白かったらシェアしてください〜!!

ランキングバナー
 にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

D造です。

ファミレスのジョナサンに来ると、モーニングメニューが、「ドリンクバーのみ」と「ドリンクバー付きトースト」が同じ値段で、なぜ同じなのか気になりすぎて、毎回、心がざわっとして、落ち着かない感じになります。

なぜ同じ値段設定になってるのか知ってる人がいたら教えてください。

——
いつもありがとうございます。
毎度のことですが応援ポチお願いします!

昨日の記事を書いたときに、「自由意志」という言葉が気になってWikipediaを調べました。

そうしたら、物理学的にも、脳科学的にも「自由意志はない」という結論のようです。

行動の意図が被験者にいつ生まれるかを決定するために、時計の針を見続けてもらって、動かそうとする意識的意図を感じたときの時計の針の位置を報告してもらった。

Libet は、被験者の脳の活動が、意識的に動作を決定するおおよそ1/3秒前に開始したことを発見した。これは、実際の決定がまず潜在意識でなされており、それから意識的決定へと翻訳されていることを暗示している。

引用:Wikipedia

磁場を用いて脳の異なる半球を刺激することによって被験者のどちらかの手に強く影響を及ぼしうることを発見した。例えば、標準的に右利きの人は実験期間の60%の間右手を動かすことを選ぶ、しかし右脳が刺激されている間、実験期間の80%の間左手を選んだとされる(右脳は体の左半身を、左脳は右半身を統括していることが想起される)。

この場合、動かした手の選択へ外的影響(磁場を用いた脳に対する刺激)が加えられていたにもかかわらず、被験者は「手の選択が(外的影響とは独立に)自由になされたことを確信している」と報告している。

引用:Wikipedia

って書いてあります。

僕も「自由意志はない」と自分の体験から思っています。

僕らは、何かをどこかで感じて、その感じたそれに反応してるだけなんですが、その反応を常に認識/観測している存在(これが本当の自分だと思われる)がいるものだから、行動を自分が起こしたように思って、自分が起こしたと錯覚しているだけです。

実はそう思考させられて、そう行動を起こすように仕向けられてるんですよ。

だから、僕らが「自分」と思っているそれも、脳の処理の結果、自分があるように錯覚してるだけで、あなたが自分と思っている「自分」というのは幻想なんですよ。

例えば、「寒い」と感じたときに、「『寒い』というのは脳の反応に過ぎないんだ、そんなものに従ってたまるか!」なんて意識して、「防寒しない」という選択ができる気がしますが、それらもそう思わされてるわけです。

IMG_5895.JPG
モーニングの一番安いメニューが399円なんですが、ドリンクバーのみも同じ値段なんです。

話を変えますが、今、いろんな人がジョギングをしていて、お金を出してわざわざフルマラソンを走って喜んでる人がいます。

一方では、運動嫌いがいて、ちょっと走るだけでもストレスを感じる人がいるわけです。

そこの違いってなんなんだろうかとよく考えます。

少なくともこれはその行為をする人の解釈だったり、意志に差があるだけで、フルマラソンそのものに差はありません。

その理屈で考えると、ブラック企業についても、ブラック企業というのは、安い給料で長時間労働など無理を強いられる会社のことをいうわけですけど、これもその会社で働く人の解釈によって、ブラックにもホワイトにもなるということです。

例えば、僕は朝6時過ぎからブログを書き始めたりして、夜22時過ぎぐらいまで働いて、フルに休める日は月に1〜2回しかないんです。

で、この働き方はスーパーブラックなわけです。

だけど、自分でやってることだから、僕はそう思っていません。

ってことになると、企業や働き方に問題があるわけではなくて、働く人が「他人にやらされている」と思っているのか、「自分の意志でやってる」と思っているのか違いしかないんです。

だから、「会社ではなく、あなたの問題なんだ!!」って言いたいわけではないですよ。

で、最初の自由意志の話で言えば、自由意志はないんですから、ブラック企業だとか、苦痛だと感じてるそれも、そう感じさせられてるわけです。

楽しい、辛いも全て、そう思わされてるんです。

とにかく目の前で起こってることは勝手に起こってて、感じたり、考えてることも全て思わされてるんです。

だから、そういう意味では、全てはもうどうしようもありません。

で、「全てはもうどうしようもありません」ってことになると、絶望したり、または開き直る人などいろいろあると思うんです。

その絶望したり、開き直ることも僕らにはどうしようもないんです。

人間による一連の活動は、(1)意志によって、(2)行為が発生し、最後に(3)結果が生じる、という形で一般化される。われわれが日常的に「思ったとおりに行動している」のは、(1)から(2)への遷移における自由行為に関するものであり、自由意志に関する議論と混同してはならない。身体的な拘束がない限り自由行為が成立するのは明白であり、論争の対象となることは少ない。

これに対して、自由意志の問題とは(1)の意志そのもの、いわば「どのように思うか」が自由であるかについて直接的な問いかけをするものであり、意志の成立過程を対象とする必要が出てくる。

引用:Wikipedia

なわけです。

全てはどうしようもないんだけど、どうしようもないことは考えてもしょうがないんです。

だから、(1)と(2)のところに行為の自由があると信じて、そこの行為の選択を自由にできるようにがんばってみるしかないんですよ。

「うげっ!イヤだなぁ」って思ってしまっても、それは思わされてるんです。

だけど、「うげっ!イヤだなぁ」って思った瞬間に、「これは思わされてるんだ!」って見抜いて、条件反射で行動しようとするのを何とかストップさせて、より良い方向に向かうように行動を起こしてみようとするしかないんです。

より良い方向に向かうように行動を起こしてみようとすることも、そうさせられてるわけで、考えてもしょうがないんですが、でも、考えてもしょうがないと考えてもしょうがないから、イヤなら何かしらの変化を加えるようにしてみるしかないんです。

また、「うげっ!イヤだなぁ」とか「楽しい!」ってのは、身体の反応なわけです。

身体は壊れたら、終わりなんだから、身体は壊れないように反応してるだけなんですよ。

「イヤだなぁ」は危険のサイン、「楽しい!」は安全なサインなんです。

だから、身体が危険な目に遭うと「うげっ!イヤだなぁ」って感じるし、リラックスしたり、心身ともに良い状態でいるときは「楽しい!」と感じやすいわけです。

だから、楽しく生きたいなら、常に心身共に良い状態をキープするかしかないんです。

で、くどいようですけど、心身共に良い状態をキープするのも、そうさせられてるわけで、どうにもならないことなんですが、でもやっぱりそれもそう考えてもしょうがないから、なんとかして良くなることをしてみようとするしかないんです。

この宇宙は生成発展の方向で向かっています。

そして、僕らのDNAにも幸せを拡大する一つの方向性のようなものが備わっていると思います。

じゃないと、生命も宇宙も維持できないから。

そう考えると、この「自由意志がない」として、僕らが突き動かされてる方向は、良い方向しかありえないでしょう。

だから、究極的には大丈夫なんですから、「全て大丈夫なんだ」ということを信じて、とにかく心身を良い状態に整えて、遊園地の乗り物に乗るような気分だったり、映画を見るような気分で、やりたいように生きてみようとするのが幸せの道なんでしょう。

実際は「全ては大丈夫だ」と思うことさえも自由意志はないんだけど、そんなことは考えてもしょうがないですね。

僕は「今のままで良いや」(かと言って今がダメだとも思ってないよ)なんて思えないからもがくし、もがいたって究極的には意味が無いんでしょうけど、そんなことを考えてもしょうがないから、呼吸法やって整えまくって、思いっきりもがきます。

そうやって行く中に、いろんなことが体験できて、充実した人生になるんだろうと思います。
——
ランキング応援ポチお願いします!!
いつも応援ありがとうございます!!

本日はなんとなく毘沙門天です。

ってことで、下記バナーに毘沙門天のエネルギーを設定しますので、バナーをクリックして受け取ってください。

【※ランキングバナーは取り外しました。】

告知

【前進ガバイ呼吸法に興味のある方へ】
前進ガバイ呼吸法のレッスンを受けてみませんか?
誰でもできる簡単な呼吸法ですが、実践して頂くとあなたの状態が整いますので日々の生活に余裕が生まれ、仕事やプライベートがうまくいきます!

メルマガ


--------
スマホで記事を毎回もれなくチェックしたいという人は是非LINE@に登録を!

メルマガ登録したくないけいど、とりあえずLINEくらいならという方にオススメです!!

友だち追加数

今回の記事はいかがでしたか?面白かったらシェアしてください〜!!

継続的にチェックしたいなら、下記SNSよりフォローしてください!

コメント

  1. 匿名 より:

    ファミレス界で、モーニングセットのサービス競争をされてるようで、
    メニューにはトーストを頼むとドリンクバーが付いてくるって書いてますが、
    設定された時間に限りドリンクバーを頼むとパンがついてくるっていう感じでしょうか?
    ポスシステムの都合で、ややこしくなるのを防ぐ目的があるのかもしれませんね。

    なんて、どうでもいいようなことを真面目に考えるのは面白いですね。

    • D造 より:

      匿名さん

      コメントありがとうございます。
      僕も似たようなことを考えましたよ。
      でも、やっぱり確認取れない以上は仮説の域を出ませんよね・・・。
      店員さんに聞いたけど、店員さんも「不思議なんですよ〜」って言ってました。

  2. 通りすがり より:

    >より良い方向に向かうように行動を起こしてみようとすることも、そうさせられてるわけで、考えてもしょうがないんですが、でも、考えてもしょうがないと考えてもしょうがないから、イヤなら何かしらの変化を加えるようにしてみるしかないんです。

    自由意志はなく行動は決定されている、ということを認めつつ
    (意志的に)・・・してみるしかない、というのは矛盾していると思います。

    もちろんブログ主さんはそのことを理解して書いておられるのでしょうが
    それは単に開き直りというもので、そう開き直るのなら自由意志についての記事など書かなければよいのではないかと思います。

    もっとも自由意志が存在しないことを認めるならば、書くことも書かないことも自由に選ぶことなどできないわけですが、ブログ主さんは内心自由意志の存在を認めておられるのではないでしょうか。

    • D造 より:

      通りすがりさん

      コメントありがとうございます。
      ご指摘の通りですね。
      これは矛盾がありますね。
      というか、文章がダメですね。
      申し訳ありません。

      例えば、ナイフで刺されたら「痛い」と思ってしまいます。
      そして、そのあとの行動というのは、「痛い」と思ったことがベースに行動を選択することになります。
      もし自由意志があるとしたら、その「痛い」と思う事さえ、自由になるはずということです。
      ただ、そのときに私たちは生きようとする働きがあって、「痛い」のあとの反応というのは、生きようとする方向に反応していきます。
      そういう意味では「流れに逆らわずに生きていれば大丈夫」ということになります。

      ちょっと違った角度から言うと、これは身も蓋もない話になってしまうのですが、過去に何度か究極な状態になったことがあり、でも、今は通常の状態です。
      究極の状態のときには、「現象は最初からただ起こっているだけだったんだ」と認識(実感)でき、そして、それはそうとしか言い様がない感じです。
      だけど、通常の状態になると「現象はただ起こっているだけだったんだ」という実感は思考的な解釈に変わってしまい、それはもう究極の状態のときに感じたそれとは別物で、そして、自由意志があるかのような錯覚した状態での解釈になります。
      で、なぜこの記事を書こうと思ったのか、思い出せないのですが、恐らく、前日かなんかに自由意志が無いとは何かを必死に考えている人がいたかなんかで、「自由意志がどうとか考えてもわからないから、イヤなら動いてみよう、開き直っちゃえ!」って言いたかったんじゃないかと思います。

      未来は決まっているのかもしれませんが、だけど、どうなるかわかりません。
      どうなるかわからないことに対して自由意志がどうとか言ってもしょうがないから、「自分が得たい未来を創造してがんばって生きよう!」と思っています。

      いずれにしても、この記事は荒いですね。

  3. ぽっぴ より:

    こんにちは。はじめまして。
    この記事でちょっと楽になりました。
    ありがとうございます。

    • D造 より:

      ぽっぴさん

      はじめまして!
      コメントありがとうございます。
      お役に立てたようで良かったです!

  4. ぽっぴ より:

    ああ、でもどうしても
    >僕らが突き動かされてる方向は、良い方向しかありえない
    これが信じる(体感する)ことができなくてしんどいです。
    そう思えるのならいいのですが…。

    • D造 より:

      ぽっぴさん
      コメントありがとうございます。
      良い方向に向かっていくとわかったからって、楽になるわけじゃないですよ。
      しんどいことがあるなら、しんどいことを解決する方向に一生懸命動く方が良いですよ。
      そうやって動いていけば、信じられるようになりますよ。