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子どもの成長について考えさせられた件

 

D造
D造

D造です。

異音がしていたノートパソコンのファンを交換しましたら音が静かになりました。

ほぼ無音になり、何年もずっとうるさかったことに気付きました。

 

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土曜日はリコ様の卒園式でした。

卒園式で考えたことを書きます。

まずリコ様とのやりとりで、、、。

D:卒園することは寂しくないか?

リ:卒園式が終わった後も保育園に行くから寂しくない。

 

D:なら、3月終わったら保育園に行かなくなるけど寂しくないのか?

リ:お友だちと会えなくなるのは寂しいけど、小学校に行けば別のお友だちもできるだろうし、保育園の先生は怒るから、もう怒られないで済むから、あんまり寂しくない。

 

D:じゃあ、保育園はそんなに好きじゃなかったのかな?

リ:好きじゃないよ。遊ぶときは楽しかったけど、他は楽しくなかった。お絵かきは楽しくなかったし、楽しくないことをたくさんしないといけなかったから。

 

D:お絵かきはなんで好きじゃないの?

リ:自分が書きたいときに書きたい絵を描くのは楽しいけど、保育園は楽しくなかったのに、楽しかった思い出を書かなきゃいけなかったり、ホントにイヤだった。

 

D:じゃあ、保育園行かなくなったら、パパと保育園行けなくなるね、それは残念じゃない?

リ:ママと保育園行けなくなるのは残念じゃないけど、パパとは残念だよ。

 

D:おぉ、そうか!(ちょっと嬉しい)、じゃあ、なんでパパと保育園に行けなくなるのは残念なの?

リ:パパと保育園行くときは朝ご飯がマックだったり、ミスタードーナツ行ったりしたけど、それに行けなくなるからだよ。

 

こんな感じでした。

私も保育園は楽しくなかった記憶しか有りませんし、そんなもんだなと思いますね。

あと、パパが好かれる理由なんて、「遊んでくれるから」とか、「お菓子買ってくれるから」とか、そんなもんだろうと思います。

 

卒園式の中で思ったこと

ほとんどの子ども達は泣いていなくて、楽しいそうでした。

大人が泣いていましたね。

 

子どもたちは卒園が、寂しい、泣くような出来事だとは思っていないんですよね。

ですから、泣きようがないんですよ。

ただ、女の子が1人泣いて、その隣の子がもらい泣きしていました。

これは親が卒園式の前に泣いていたんじゃないでしょうか。

泣いている子どもは歪んでいましたからね。

他の子ども達は、恐らく今回の卒園式で大人が泣いている姿を見て、「卒業は泣くものだ」と知ったはずでしょうから、小学校の卒業式で泣くんじゃないかと思います。

 

で、「大人は卒園式でなぜ泣くのか」なんですが、理由はいろいろあると思います。

一つは「卒業式=泣く」みたいな観念があるんだと思います。

ほかにも「子どもの成長を見て嬉しくて泣いている」もあると思います。

だけど、「子どもの成長を見て嬉しい」というのが、歪むんですよね。

お母さんたちであれば、保育園を送り迎えしたり子育てに追われ、先生たちはたくさんの子どもをお世話して、「私は頑張った!」みたいな自負というのか、想いの強さというか、そういうのから「自分の頑張りの証」を見たようにして、泣いているんじゃないかと思いました。

ちなみに、園長先生は泣いていなかったのですが、園長先生の姿は淡々として、クリアな感じで気持ち良い姿に見えたのですが、他の方々の涙というのは、歪むんですよね。

 

もっと純粋なウルウルだったら、場がクリアになるはずなんですよね。

大人数の大人が歪んで感情を吐き出すから、ものすごいパワーの歪みで、頭が重くなるし、気を抜くと呑まれそうになり、私もウルウルしてくるんですよ。

で、子ども達を見るとウルウルが引き、頭が楽になるんですね。

さすがに、私もあたま軸のキープが難しくて、ひどい頭痛に襲われ、耐えられなくなりました。

まぁ、しょうがないと思いますが、子ども達はあっけらかんとしているのに、大人たちの「私がんばった!!」が強すぎると思いました。

ウルウルして良いと思いますが、もう少し歪まずに、つまりエゴを下げてできないものかと、、、。

 

世間一般で言う、「子ども達が成長して、大人のようになっていく」というのは、「感覚が衰え、考える力を失い、観念まみれになって、不健康になっていく」ということなんですよね。

大人は自分が観念まみれだから、そういう風にしか育てられないし、自分と同じようなことをし出すと、「成長した」と褒めたくなるんですよね。

観念というのは、「それが正しい」という思い込みですからね。

 

これは私も自分がリコ様と接していて、そういう育て方しかできない自分を実感します。

というか、子どもの視点に合わせると、子どもの能力に自分の能力がついていけなくなって辛くなります。

私の目から見て、子どもがとんでもないことをしているように見えても、時間をかけて話を聞くと、私なんかより遙かに考えて、合理的なことをやっていることが後になってわかることが多いです。

そして、自分が子どもを理解できないだけなのに、「子どもはわかっていない」と思って、指導、教育と称して、自分の観念を押しつけるんですよね。

 

そんなわけで、卒園式というのは、セレモニーとしてはめでたいことではありますが、改めていろいろと考えさせられました。

「子どもは親の思うように育たず、親のように育つ」ですね。

子どもをダメにしているのは親ですね。

 

ガリ入りのジンジャーエール??最近、しょうがが好きになりました。

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