新しい記事が表示されない場合は右の再読込ボタンをクリックしてください。

観念に縛られない、エゴを下げることが難しい理由

 

D造
D造

D造です。

昨日は前進ガバイ塾でした。

金曜日にほふく前進ガバイ塾でしたので、怒濤の日々が終わりました。

今まで連続でやるとしんどいと思って、2つのセミナーのスケジュールを空けていましたけど、連続でやった方がスケジュール的に楽かもしれないと思いました。

 

メルマガサンプル
実際に配信したメルマガをご覧いただけます。 こんなメルマガが週1回届き、日々はブログ更新のお知らせメールが届きます。 営業したいことが無いので営業的なメールはほぼ送りません。

 

私たちの身体は「生きよう」、「健康になろう」としていて、「健康を害すもの」を拒否して、「健康になるもの」を取り入れようとします。

で、私たちは健康になるものを日頃たくさん食べたとしても、1つの毒で死んでしまうわけですから、身体を守る、つまり、命を守るには、健康になるものをたくさん取り入れるより、害するものを排除することが重要になります。

よって、私たちの身体は何かを食べたり、接触して、それが「健康を害する」と判断した場合には、それを覚えていきます。

その覚えて蓄積されたものが、「観念」であり、違う言い方をすると「エゴ」とも言いますね。

ですので、「観念」というのは、私たちの経験則でもあります。

 

で、この「観念」というのは、曖昧なところがあります。

例えば、小学校のころにAくんにいじめられて、そのいじめたAくんが大声で怒鳴っていじめたとします。

そしたら、「大声=いじめられる」と覚えるんですね。

そうなると大きな声を聞くだけで、それが全くいじめに関係しないことであっても、危機と認識して、身体が身体を守ろうとして萎縮するんですね。

この強烈なやつがトラウマですね。

 

この観念による反応というのは、身体が自動的に反応するわけですから、自分の意志でストップするには難しいところがあります。

なぜかというと、まず無意識に反応してしまうので、「反応していることを自覚しにくい」というのがあります。

無意識の反応を見抜くには、自分の言動を客観的に常に見ることができないと難しいです。

私もある程度はできますが、やはり指摘されないとわからないことが多いです。

 

もう1つの理由が、観念的な反応というのは、「危機から身体を守ろうとする反応」ですので、その反応をやめるというのは、「危機が起こっても身体を守らない」ということになります。

よって、「身体を守らない」という行為は、身体からすると自殺行為みたいな認識となりますので、恐怖が伴うんですよ。

例えば、上記の大声のいじめの例で言えば、身体は大声を聞いたら危機だと認識しますので、「大声だけど、とても優しくて、いじめをするような人ではない」と頭ではわかっていても怖いです。

 

納豆餡かけたぬきそばオンザ唐揚げです。うまかった!!

 

観念的な行動というのは、健康を害する行動ということにはなりますが、観念の全てが悪いわけではありません。

例えば、「家族を大切にする」というのも観念ですし、「楽しいことをしたい」というのも観念です。

こういった観念があるから私たちは楽しく生きていけるわけです。

観念の全てを否定してしまったら、生きていても楽しくないです。

 

ただ、一方で、家族を大切にしようとすることで、無理して働くようになってしまったり、楽しみたいと思うがあまり、仕事をしたくなくなって、日々の生活が辛いものとなります。

で、それは観念に縛られすぎていますので、よくないわけです。

ですので、「家族を大切にしなきゃいけない!!」と思って、辛くなっている人には「家族は守らなくても良いんだよ」みたいな言葉が救いになることがありますね。

だけど、「家族を大切にする」という観念そのものがダメだと言っているわけではありませんね。

 

で、前進ガバイ塾では、この「観念の整理」、「エゴを下げる」ということをテーマにセミナーをやっています。

「観念の整理」、「エゴを下げる」というのは、「生きる上で足かせになっている、観念的な心身の自動反応を、誤作動、過剰反応と見抜いて、正常な反応をする」ということになります。

ただ、これはまともにやると上記にも書きました通り、恐怖が伴いますので、冗談で笑えるようにしてやっています。

ですので、やっている側からすると、お客さんに極力、危機、恐怖を感じさせないようにして、笑いにもって行くことをしているので、ホント疲れますが、お客さんは楽しいようです。

 

そんなわけで来月もほふく前進ガバイ塾と前進ガバイ塾は連日でありますので、引き続きやっていきます。

タイトルとURLをコピーしました