ラッキーなのか不幸なのか、良いのか悪いのかは死んでみないとわからない

 

D造
D造

D造です。

ここ最近、少し痩せまして、ベルトがチャンピオンベルトのようにぶら下がっているだけになっています。

切ろうか迷っているのですが、もう少し痩せるかもしれませんし、逆にすぐに戻りそうな気もして迷い中です。

 

 

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例えば、青信号で横断歩道を歩いていたら、自動車にひかれて入院することになったとします。

これだけを見ると不幸な出来事のように見えます。

だけど、その入院した先で運命の人と出会いがあり、それから楽しい日々を過ごして、めでたく結婚することになったとします。

こうなると事故に遭っていなければ、結婚の話はなかったわけですから、不幸だったはずの事故がラッキーな出来事のように見えてきます。

しかし、結婚詐欺だったとわかり、お金をぶんどられてしまったとしたら、事故に遭って入院までして騙されてしまい、不幸の連続のように感じますね。

だけど、その詐欺にあったおかげで、、、と続く、、、。

 

結局、自分の過去も含めて、自分の人生がラッキーなのか不幸なのかは、振り返った時点での自分の状況を自分がどう評価しているかで変わるということですよね。

ですので、起こった出来事と幸、不幸は関係がないですし、今、自分がしていることが良いのか悪いのか、自分の境遇がラッキーなのか不幸なのかは、死ぬまでよくわからないということになります。

 

私は自分の人生を振り返って、「あぁ、あの頃は良かったなぁ」って思える過去がありません。

「なんだかずーっとたいへんだなぁ」と思って生きていますので、良かったと思えないんですよね。

ちょうど昨年12月後半ぐらいから私の環境というか、置かれている状況と言いますか、その流れが変わってきているんですね。

で、この変化に対応するのが思いのほかたいへんで、投げ出したい気分にもなるんですが、一方で「いつものことだな、投げ出したところで投げ出した先でも似たようなもんだろうな」と思っている自分もいますので、投げ出すつもりはありません。

 

私の場合、余裕が生まれてくると、負荷がかかることをしたくなってしまうんですね。

「前進ガバイ呼吸法」というネーミングなんかも、もっとお客さんが受け入れやすい名前があるのに、わざわざ変な名前にしてしまっているんですよね。

これまでを振り返ると、たいへんだったとしたらとなんとかして余裕を作り、やっとのことで余裕が出てくると、気になることが出てきてしまい、そっちにのめり込んでしまって、気付いたらたいへんな状況になっているんです。

ですので、秘境サグゥア(わからない人はこちらをご参照)に帰って、ゆっくり過ごすのもありかなと思うこともあるのですが、ゆっくり過ごし始めると「東京進出だ!!」とか、どうせ考えるんだろうなと思っています。

よって、私が感じる「いつもたいへんだなぁ」は、「私の性分、習性なんだ」、「私はたいへんなのが好きなんだ」と思うようにして、たいへんなのはしょうがないと諦めています。

 

生キムチ!生野菜を軽くキムチのタレ?につけ込んだサラダみたいなやつで、超うまい!!

 

で、さらに言うと、上記の「私はたいへんだ」という話は、「たいへんだ」と解釈しているのは私(D造のこと)なんですね。

ですが、人には楽しそうにやっているように見えるみたいなんです。

私は大してお金を持っていないのに、お金を持っているように見えるみたいですし、朝から晩まで仕事をしているのに、好き勝手に自由に生きているように見えるみたいなんです。

私自身は私の日々は「たいへんだ」と思ってはいますが、実際に誰かが私の生活を代わりにやってもらうことができたとしたら、その人は「超楽しい!!」って思うかもしれませんね。

そう考えてみると、単に私が大げさ野郎なだけで「たいへんだ」と解釈しているだけかもしれません。

 

この世の中には、「自分は不幸だ、幸せになりたい!」と悩んでいる人がいると思いますが、そういう人は「不幸であること」が実は好きなのかもしれませんよね。

認めたくはないかもしれませんが、、、。

もしくは「不幸」と解釈してしまうクセを持っていて、恵まれている環境だったとしても、不幸に解釈してしまうんですよね。

実際、お客さんを見ていると、良い感じになってくると、わざわざ自分のたいへんなところ、できてないところ、問題点などを探し出す人がいるんですよね。

「私は最近、何も問題が起こらないんですが、問題が起こりそうで不安です」とおっしゃった人もいます。

 

いずれにしても、「不幸がイヤだ」という人は、不幸だと解釈してしまうクセをなんとかするしかないですよね。

で、その「クセ」というのは、エゴですから、クセを直すというのは、「エゴを下げる」なんですよね。

でも、「エゴを下げる」以外で言うと、「不幸でもいいや」って諦めてしまうと、不幸である状況へのイヤさがなくなり、一見、不幸なことが起こっても、「いつものことだな」と思えますので、それだけでも不幸がなくなりますね。

 

そんなわけで、どんな生き方でも、不幸なのか幸せなのかは死んでみないとわからないということですね。

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