エゴの数だけ他人ともめる原因がある。

 

D造
D造

D造です。

先日、クイーンの映画の「ボヘミアンラプソディ」を見て、その後、クイーンの曲を聞き返していました。

そしたら、中学生のころに好きで聞いていて、だけど、誰が歌っているのか思い出せず、20年くらい探している曲があり、興奮してしまいました。

で、その曲がクイーンの「I want it all」という曲で、この1曲のせいで、大して興味のなかったクイーンが好きになってしまい、どれも良い歌に聞こえてしまうようになりました。笑

 

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エゴというのは、その人が「生きてきた中でできあがった経験則」みたいなものです。

例えば、寒いときに服を着れば寒さを防げる経験をした人は、「寒い場合には服を着れば寒さを防げる」という観念ができあがります。

そしたら、寒さを感じたら、服を着ようとします。

他にも、小さいころに大声で怒られ続けた人は「大きい声を出す人は怖い」という観念を持つようになって、そうなると「声が大きい」というだけで「怖い人」と判断します。

こういう感じで、経験によって、「A→B」みたいな感じでできあがったパターンがエゴですね。

 

そうなると、例えば、「時間を守ることは正しいこと」という観念を持った人とそういう観念を持っていない人がいたとします。

で、そういう観念を持っていない人が、待ち合わせの時間に数分遅れて、そのあとの予定に影響がなかったとしたら、「数分遅れたことが悪いこと」とは想像もしませんので、「遅れてごめん」と謝るという発想も生まれないと思います。

一方で「時間を守ることは正しいこと」という観念を持っている人は、「数分遅刻した=悪いこと」と判断して、数分遅れた相手を悪い人だと決めつけます。

さらに「悪いこと、間違えたら、謝るべきである」という観念を持っていたとしたら、「遅刻した人が悪いことをしたのに謝らない=とんでもなく悪いことをする人」と決めつけることになります。

この状態で、遅刻した人に、「遅刻したんだから謝るべきだろ!!」なんて言っちゃったら、指摘された人は「数分遅刻したぐらいで、なぜそこまで言われなきゃいけないの?」となります。

 

実際に「時間を守る」ということに関して言えば、企業とのアポイントなんかで、待ち合わせ時間の5分前に到着したら、迷惑がられ、数分遅れた方が良い場合もあります。

ですので、時間を守ろうとして、5分前に行ったら迷惑がられる場合もあれば、相手側に気遣って、「準備もあるだろうから」と数分遅れて行ったら、「遅刻した!けしからん!」となる場合もあるということですね。

 

結局は時間の約束をするというのは、一緒に何かをやろうとして、それがスムーズに始められるように時間の擦り合わせをしているだけです。

ですので、やろうとすることがスムーズに始められれば、時間に遅れようが何の問題もないんですよね。

だから、「時間を守る」というのは、人それぞれで、本質ではないんですよね。

 

辛い薬膳鍋です。中に唐辛子系のスパイスがたくさん入ってます。でもかなりおいしかったです。

 

私たち人類と他の動植物に共通していることは、「健康になろう」とする働きで、これが本質です。

ですので、「健康になるような行為」が本質的な行為となります。

 

で、エゴというのは、本質ではなく、その人の経験から生まれた思い込みですから、エゴがあると必ず2つ以上の認識や意識状態(以後、まとめて意識状態)が生まれます。

もう少し言うと、「エゴ」があると、それだけで本質的な意識状態とエゴによる意識状態が生まれるということです。

 

で、これが身体で言えば、エゴを持つだけで、身体は健康になろうとしているのに、エゴによって、それを阻害する状態が同時にあるということですね。

人間関係で言えば、エゴを持っている人同士が集まれば、人数分のエゴがそこに集まることになります。

ですので、バラバラの意識状態、つまりそれぞれの考えを持っている人が集まり、団体行動をしようとすると、誰かのエゴに合わせて行動するしかなくなり、そこには歪みが生じます。

そうすると負担が生まれる関係ということですので、いつかは関係がギクシャクするか、身体にダメージを受けることになります。

 

仮に本質的な意識状態の人とエゴの人がいたとすると、これでも人間関係ではもめる場合が多いです。

そうすると人間関係でもめないようにするには、「本質的な意識状態の人が相手のエゴに合わせる」か、「エゴの人が本質的な状態になる」か、「関わらない」かしかありません。

本質的な意識状態の人がエゴに合わせるとなると、身体にダメージを受けることになり、そこまでして付き合うかどうかですよね。

で、付き合うとするなら、人間関係のために自分の健康を売っているということになります。

ただ、エゴというのは、その時々で変わるので、エゴに合わせるというのは実際不可能ですので、一時的に相手のエゴに合わせることができたとしても、関係を維持するのは難しくなります。

 

ちなみに、生活費を稼ぐために、本質的ではないことをせざるを得なかったりするわけですが、そうなるとお金のために健康を売っているということになります。

 

そんなわけで、エゴを極力減らすのが健康も人間関係も良好になるということですね。

「愛があれば」なんて言う人がいますが、「愛があれば」なんて言っている人の「愛」がエゴだったりもしますので、なんともですね。

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