健康に生きるってどんなことか的な話

 

D造
D造

D造です。

ここ1週間ぐらい「独身貴族なう!」なんですが、結局、仕事をして帰宅するだけとなって、あまり変わらずです。

 

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私たちの身体というのは、ケガや病気になったら、回復しようとします。

つまり「心身が健康になること」が本質となります。

ですので、このブログでも「心身が健康になるように作用するもの」を本質と表現しています。

逆に、「心身にとって不健康になるように作用するもの」を歪み、ノイズと表現しています。

 

例えば、「お金」に対して、多くの人は歪みます。

ですので、「お金にはノイズがある」となりますが、実際にはお金というのは単なる物質です。

もちろん物質としてノイズがある場合もあるのですが、「お金」に対する観念によって、人は歪みます。

 

観念というのは「過去の経験からできあがった本質的ではない経験則」とか、「歪みを生む思い込み」ということになります。

私たちは「お金がないと生きていけない」とか、「お金は大切だ」と知らぬ間に思い込まされているわけですが、こういう思い込みが観念ですね。

で、「お金がないと生きていけない」と思っていると、お金を認識すると「生きていけないんじゃないか」と顕在意識か潜在意識かは別にして、不安に思ってしまって、それが歪むわけです。

 

で、「心身が健康になるように作用する文章」とか「歪まない文章」というのが、「本質的な文章」となります。

ですが、例えば、カレーの味を言葉で説明したら、それを読んだ人は言語的な理解しかできず、本当の味は味わう以外にわかりません。

ですので、仮に本質がわかっている人が、ある物事の本質を言葉で説明しようとしたとしても、言葉にしただけで本質的な要素は減ります。

それでも本質的な文章と観念から書かれた文章では、歪み度合いは違います。

 

で、本質、つまり歪まない物事を選択していけば、心身は健康になるということです。

逆に言えば、歪む物事を選択すると心身は不健康になるということですね。

ですので、歪みを認識できるかどうかがポイントになります。

 

ココイチ期間限定カレーを食べますが、結局は納豆チーズカレーがうまいように思います。

 

物事を選択する基準が「歪みの有無」である場合、歪まない方を選択していけば健康になります。

ですが、感覚が無い人はその基準での判断ができないので、観念で選ばざるを得なくなります。

観念に「失敗してはいけない」というのがあったとしたら、「何をもって失敗とするか」の定義は関係なく、とにかく失敗しないように選択しようとします。

そうなると定義が曖昧ですので、グルグルと迷うことになります。

もしくは、思い込みで、何の根拠もなく、盲目的に選択してやっていくことになります。

これは「歪みの有無」を選択の基準にしない限り、この状態は続きます。

 

「歪み」は自分の身体の反応をとらえることでわかります。

「歪み」を受けると力が抜けたり、圧迫感を感じたり、呼吸がスムーズではなくなったり、そういう変化が身体で起こるのですが、そういう身体の変化を認識するということですね。

ただ、これは感覚が良くないとわからないです。

多くの人が感覚が使えなくなっていますので、歪みを認識できなくなっています。

ですので、歪みを認識できるようになるには、感覚を上げるしかないです。

 

感覚がない人が自力で感覚を上げるのは不可能です。

感覚を上げるにも、本質的な行動を取るようにしていく、つまり歪まない行動をしていくことによって上がっていきます。

そうすると感覚がない人は、何が本質で、何が歪むのかわからないので、「感覚を上げようがない」ということになります。

 

ということで、まずは感覚を上げましょう!ってことになりますね。

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