エゴの何が問題なのか的な話

 

D造
D造

D造です。

ミジンコが全滅したかと思っていたのですが、ミジンコを培養しようと思ったときに、メダカの稚魚が食べるかと思って、餌として稚魚の水槽に入れておいたミジンコが大繁殖をしていました。

それを発見したときは、南極物語でタロとジロに再開する高倉健さんのシーンを思い出しましたよ。

ということで、そちらのミジンコを救って培養を再開します。

 

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ここ最近、お客さんに、とにかくエゴを下げるように言っています。

「エゴとは何か」という話になるのですが、それを説明するとそれだけで終わるので、下記の記事だったり、過去記事をあさって読んでみてください。

今日はそこの説明は割愛します。

 

ノイズ≒エゴ≒ゆがみ
私たちは言語だったり、行動によって、他人に何かを伝えます。 そして、発信する側の意図と受け取る側の解釈が異なることはよくあります。 発信する側に思い込みや観念があって、そのせいで本心と認識にズレがあったり、さらには行動もズレていることがあります。

 

エゴを下げるように言うと、エゴがダメであるかのようにとらえがちですが、エゴがダメなわけではありません。

おいしいものを食べて、おいしいと思うのもエゴですから、エゴが無くなってしまうと生きる楽しさが全くなくなってしまいます。

ですので、「エゴを下げる」というのはエゴにとらわれたまま過ごすのは極力やめましょうという意味でもあります。

 

で、日常のトラブル、心配、不安などは全てエゴが原因です。

心配や不安というのは、「○○が正しい」とか、「こうあるべきだ」と思っていることと違うことが起こると、不安や心配が生まれるわけです。

その「○○が正しい」とか、「こうあるべきだ」というのがエゴの一種でもあります。

ですから、不安や心配がある人というのは、エゴが高い状態ということです。

逆に言えば、エゴが低い状態というのは、不安や心配が少なくてスムーズな状態ということです。

 

エゴにとらわれている状態、違う言い方をすると、その人が思い込みに囚われている状態、もっと言うと勘違い、過剰反応をしているときなんですが、そういうときに「それ違うよ」と指摘すると自分が否定されたような気分になって怒ったりします。

例えば、「茶色いモノはチョコレートである」という思い込みを持っている人がいたとします。

そういう人は茶色いモノを見るとチョコレートだと思ってしまうようになります。

で、道に落ちている犬のフンを見たら、それをチョコレートだと思ってしまうんですね。

「そんなことあるわけないだろ!」って思うかもしれませんが、そういう勘違いをする小さい子どもはいますよね。

 

料理はまぁまぁおいしかったんだけど、店主が上っ面の人で料理も上っ面だなぁ、、、って感じの店でした。

 

話を戻して、「茶色いモノはチョコレートである」という思い込みを持っている大人がいたとして、その人が犬のフンをチョコレートだと思って手に持っていたとします。

で、「あなたは犬のフンを持っているよ」と指摘したとします。

そのときに、「茶色いモノはチョコレートである」という思い込みが強くなければ、その指摘を受け入れ、気付いてくれると思います。

ですが、思い込みが強ければ、「そんなことあるはずがない!だって茶色だからチョコレートに決まっている!」という反応になります。

そして、さらに「間違えるのは良くない」という強い思い込みを持っていたとしたら、パニックになり、そして、自分が間違えていないことを証明しようとさえします。

また、「私は正しい」という強い思い込みを持っていたとしたら、指摘されたら、自分が否定されたように感じて、「お前は俺を馬鹿にするのか!」って怒り出したり、人によっては落ち込んだりします。

 

で、チョコレートだと思って食べてみたら犬のフンだと気付いたとします。

だけど、「茶色いモノはチョコレートである」という強い思い込みを持っている限り、再び、犬のフンを見たらチョコレートだと思ってしまって、繰り返すわけです。

そんなことが思い込みを手放すまで続くということですね。

そんな感じで、エゴが高いと自分が思っていることと違うことは、受け入れられませんし、トラブルさえ起こるんですね。

 

ってことで、エゴは下げたいわけです。

でも、前述の通り、エゴがダメだというわけではありません。

エゴにとらわれないようにしようということですね。

で、不安になったり、腹が立ったり、マイナス感情というのはエゴから生まれるものですから、そうなったときは自分がエゴにとらわれていると気付いて、立ち止まって、エゴを下げるようにするということですね。