D造です。
昨日、大きい水槽のメダカとエビを別の水槽に移し替え、土を全部出して、きれいにしました。
2時間ぐらいで終わるかと思ったら、4時間半もかかり、かなり疲れました。
金だらいの水槽も良い感じに仕上がってきましたので、今週中にはメダカの放流ができそうで、着々と進んでいます。

ガバイセッションの中でやるワークで、「思考脳を使っている状態と感覚脳を使っている状態でくすぐる」というのをやります。
そうすると思考脳を使っている状態だと、くすぐったく感じて、みんな身体をのけぞりますが、感覚脳の状態だとくすぐったく感じません。
自分で脇腹や脇をくすぐってもくすぐったくないと思いますが、感覚脳を使っている状態でくすぐられると同じようになります。
「くすぐったい」というのは、くすぐられたときの解釈です。
解釈というのは、思考脳の処理ですから、思考脳を使っているとくすぐったく感じます。
逆に感覚脳を使っているとその解釈が起こりませんから、くすぐったく感じません。
ですので、「人にくすぐられるとくすぐったく感じる」という観念が、そうさせているということですね。
ってことで、「くすぐったい」からと身体をのけぞってしまうのは過剰反応しているだけということになります。
ただ、じゃあ、私はくすぐられても、くすぐったく感じないかというと、くすぐったく感じます。
思わず反応してしまいます。
大きな音がするとビックリしてしまうのと一緒で、やっぱりくすぐったく感じて反応してしまうんですね。
これは身体の防御本能みたいなものと紐付いているので、反応してしまうのは仕方が無いと思います。
ですので、くすぐったく感じるのがダメだってわけではなくて、ただの過剰反応だということを知ってもらうためのワークです。
大切なのは反応しないことよりも、反応して状態が崩れたら状態を自分で戻せることが大切です。
戻せるなら状態は崩れても問題がないわけですからね。
ですので、ガバイセッションでは反応しないことより、状態の立て直しを重視しています。

一瞬何処で食べたか思い出せなかったけど、思い出した!うまかった!
抱える悩み、問題の全ては過剰反応です。
悩みや問題というのは、くすぐられてくすぐったいと反応してしまっているのと同じようなものです。
人それぞれに観念があって、その観念を基準にして「問題ではないことを問題である」と解釈してしまうんですね。
風邪をひいただけで、一生治らないなんじゃないかと悩む人もいます。
これは過剰反応なんですが、悩んでいるご本人は真剣です。
で、その「問題である」という解釈を他人にぶつけてしまうと、人間関係のトラブルが発生します。
ぶつけられると、相手も問題ではないのに問題だと解釈して、「けしからん!」ってお互いがなるんです。
仮に「問題である」と思っていることが解決したとしても、そのトラブルの原因となった観念がある以上は、同じ問題が起こる原因が残っているということになります。
いや、問題が起こる原因というより、問題ではないことを問題だと解釈してして、過剰反応してしまうクセが残っているということですね。
ですので、思考脳を使っている間は問題を解決したとしても、それは痛み止めを飲むようなもので、根本的な解決にはならないということになります。
で、過剰反応を押さえるというか、落ちつかせるには、感覚脳に切り替える必要があります。
思考脳を使っている間は無理です。
繰り返しますが、抱える悩み、問題の全てはあなたの過剰反応です。
私は口ではそう言っていますが、私も過剰反応してしまいます。
過剰反応してしまうと、その状態からの立て直しはホントにたいへんです。
なので、過剰反応しては、感覚脳に切り替えて、一つ一つ、立て直しの練習をしています。
過剰反応しなくなれば、釈迦越えでしょうね。