健康的に生きるとは何か的な話

D造です。

今朝の東京は横殴りの雨で、ズボンがモモからビショビショになりました。

えらいこっちゃです。

だけど、ここまで雨に濡れるのはかなりひさしぶりな気がします。

 

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私たちは、本質的ではない言動を行うと身体に不調が起こります。

この不調をこのブログでは「ノイズ」、「歪み」という言い方をしています。

これは何度も書いてることですね。

 

で、「本質とは何か」ということになりますが、辞書で調べてみました。

 

【本質の意味】

1.物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿。「本質に迫る」「本質を見きわめる」

2.哲学で、存在するものの基底・本性をなすもの。

(1)偶有性に対立し、事物に内属する不変の性質。

(2)実存に対立し、そのもののなんであるかを規定し、その本性を構成するもの。

3.論理学で、思惟の対象を定義する諸限定。類・種のごとき普遍をさす。→実体 →属性 →本体

(引用:goo辞書

 

本質というのは、言葉だけの意味でいけば上記ですが、身体的な観点での本質というのは、言葉での説明が難しいのですが、私たちの身体は「健康になろう」、「生きよう」としているわけですから、そういう身体の働きが本質なわけです。

ですから、私が言う本質的な言動というのは、そういう身体の働きを阻害しないようにしたり、促進したりする言動が本質的な言動という意味です。

別の言い方をすれば、身体が健康になるような言動を本質的な言動としています。

ですから、「本質ではない言動」というのは、「身体が不健康になるような言動」という意味となり、「本質ではない言動を取ると、身体に不調が起こる」というのは特別なことを言っているわけではありません。

ですから、本質的な言動を取るには、身体の反応を見て、身体が良い反応を起こすものを選べば良いということにはなります。

 

ただ、こう言うと「私は身体の声を聞いて選択しています!!」みたいなことを言う人が出てきそうですね。

「身体の声を聞く」というのは、「身体の反応を捉えて認識する」という意味なんだと思いますが、実際に身体がしゃべるわけではなく、その人が身体がそう言っているように解釈しているだけです。

つまり「解釈」がズレていれば、身体の声を聞いているつもりでも、ズレて解釈してしまっているかもしれません。

子宮系女子の人たちが「子宮に聞く」なんて言っていますが、子宮のせいにして都合良く解釈して、あらぬ方向いドンドン突き進んでいますよね。

子宮のせいにしているわけですから、子宮の負担は大きいでしょうから、将来、子宮系の病気が心配になるのですが、大丈夫でしょうか。

 

見た目は最高の海鮮丼!!味は、、、orz。本物のいくらかなぁ。

 

私たちは、体調が悪くなると気分が落ち込んだり、逆に気分が落ち込んだときに体調を崩したり、身体と心、メンタルは繋がっています。

ですから、身体に良いことをすれば心は元気になります。

ですが、心が元気になることをすれば身体に良いとは限りません。

 

それはなぜかというと、心には観念があるからです。

観念を価値観という言い方に置き換えても良いかもですが、「健康に良い物を食べるのが正しい」という価値観を持っている人がいたとしたら、そういう人は健康的なものを食べると気分が良くなり、不健康そうなものを食べると気分が悪くなります。

そして、健康的な物を食べた場合、気分は良いかもしれませんが、健康的なものを食べながら、「俺は不健康なものは食べないぞ」的な想いを同時に持つことになり、健康的な物を食べながら、不健康を意識してしまうようになります。

そうすると健康な物を食べながらも、不健康な物を食べているのと変わらない状態になります。

 

ですから、本質的な言動をするには身体の情報をダイレクトにとらえて判断するのが良いということになります。

その身体のダイレクトな情報の一つが「心身の歪み」です。

本質的な言動というのは、心身が歪まない言動ということです。

 

ただ、この「心身の歪み」にもわかりやすいものもあれば、気付かないものもあります。

小さいころから当たり前にある歪みというのは、当たり前過ぎてわからないんですね。

また、感覚を失っている人は、その心身の歪みを認識できなくなっています。

ですので、心身が歪まない言動を行うには、まず心身の歪みを認識できるようになるための感覚を使えるようになるということになります。

その上で、身体の歪みを取り除き、観念の整理も同時に行っていくということになりますね。

 

で、そうなると「具体的にどうすれば良いの?」ということになりますが、感覚が使える人はこの記事を読めば何のことかがわかると思います。

逆に、どうすれば良いかわからなかった人は感覚が使えないということです。

感覚が使えない人が感覚が使えるようになるというのは、交通事故で動かなくなった足を動くようにするようなものですから、自力では無理です。

あるとすれば、大事故や大病にかかって、死にそうになると自力でなんとかいけるかもしれません。

 

ただ、私はそれなりに感覚が使える方ではありますが、それでも自分でやれる部分とそうでない部分があって、私も他人に頼っています。

ですので、心身が歪まないように生活することが難しいと実感する日々です。