「楽しい」、「安定している」、「幸せ」はホントに良いことなのか?

D造です。

靴下がいつも左の親指のところに穴が空きます。

ここの穴が空かなければもう少し長く履けるのですが、なぜなんでしょうね。

 

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昨日の記事はコメントいただいたり、LINEでメッセージをいただいたり、いろいろと反響がありました。

でも、アクセス数は少ないです。

 

私は日々が楽しいかと言われると、楽しいと感じることは少なく、むしろつまんないのが基本な気もします。

何というか、「楽しくても楽しくなくてもどっちでも良い」という感じですので、楽しさを求めていないので、よくわからないんです。

 

Facebookだったり、ブログなどで自分の活動をアピールしている人は、大人数で笑っている写真をアップしたり、「楽しかったー!」なんて書いていますが、そういうのを見ていると疲れないのかなぁって思ってしまいます。

そういう楽しさは、ドーパミンを出したような楽しさで、単なる興奮状態ですよね。

そういうのを見ていると、「楽しさ」や「幸せ」を追い求めていると、かえって疲れそうで、そんな疲れをするぐらいなら楽しくない方が良いし、不幸で良いです。

ですから、一人のときは淡々としています。

 

最近の楽しかった?ことは、音楽を鳴らすスピーカーのケーブルを交換したんですね。

そしたら、音質が明らかに変わりまして、「すげー!こんなんで変わるのか!」って思いました。

こういう「わかる」体験は良いですね。

 

「楽しいことが正しい」、「安定していることが正しい」、「楽しく安定していることが幸せだ!」みたいに思って、それを必死に追いかけ、そして、安定したかと思えば、今度は「つまらない」です。

結局、「楽しい感」とか「安定している感」とか「幸せ感」みたいなもの追いかけていると、いつも「こんなはずじゃなかった」となるんですよね。

 

煮干し系のラーメンに煮干し粉をガッツリ足して食べました!煮干しでした!!

 

安定したら「つまんない」と言う人がいるように、恐らく憧れる生活だったり、理想の状態になっても、それを追いかけているときは、すごそうな感じがするかもしれませんが、そうなってしまったら、恐らくなんともないですよ。

ですから、とりあえず、日々が楽しくない人は、それが健全だと思います。

「楽しい~!」とか、「幸せ~!!」って言っている人は、アドレナリンが出て、ただ興奮しているだけですよ。

 

実際、六本木ヒルズに住んでいる人とか、大企業の社長などと以前は付き合いがありましたが、あんまり楽しそうに見えなかったです。

話を聞いていると、生活に金銭的な余裕は無いけど、自分の生活の方がマシだなって思いました。

 

で、日々が「辛い」とか「不安」だと思って過ごしている人は、それを受け入れろと言いたいわけではありません。

日々が辛いのは辛いので、そういう人は楽しいことをすれば良いと思います。

 

じゃあ、何が言いたいかというと、「楽しい」、「安定」、「幸せ」を追い求めて、辛くなるぐらいなら、楽しくなくても、不安定でも、不幸でも良いんじゃないかってことです。

そして、自分は「特に何も問題がなく、淡々としていてつまんない」って人は、わざわざ楽しもうとしたりせずに、それで良いんじゃないでしょうか。

でも、それが物足りないと感じる人は、それは余裕があるってことでしょうから、その余裕を困っている人にわけたら良いんじゃないでしょうか。

 

そんなわけで、淡々といきましょ~!!